2014年2月3日月曜日

UFOとお坊さん

 (先々週になったけど)沖縄、那覇市の上空にUFOが出たそうです。私もYouTubeで撮影された動画を見ましたが、色が次々と変化してとても綺麗に見えました。こういうことがあると、その映像はニセモノ、トリック撮影やCG合成だと言い出す人がおりますが、なぜそういうのでしょうか?または、UFOには宇宙人が乗っていて、地球を偵察にやってきているのだという人もおりますが、どうやったらそこまでわかるのでしょうか。
 「お坊さん的にはUFOってどうなのよ」って、別に聞く人がいるわけではありませんが、仏さまの教えにてらしてお書きしたいと思います。まず、個人的にもお坊さんとしてでも、キラキラと光りながら空を飛ぶわけのわからないものは存在するのだろうと思います。私もCG映像をつくったり、教えたりしておりましたから、合成映像に関しては敏感な方です。それでも沖縄のUFOは自然なようにみえました。ただ、それが宇宙人の乗り物であるかはわかりません。私の社会経験上説明のつかないものが空を飛んでいる映像をみたというだけであります。
 ところで、人間は説明のつかないものには拒否反応がでるようです。さきにあげた、何が何でもUFOは存在しないんだと主張するひと、一方で想像をふくらませてUFOを宇宙人の乗り物だというひと、これはどちらも説明のつかないものがあっては困るという姿勢で同一です。とにかく何等かしら説明をつけてわかったことにしないと気持ちが安定しないのです。それでUFO以外にもたくさんの説明のつかないことを無いことにして暮らしているのが現代の人間の生活です。ときにしばらくの間なかったもの、あるはずなんだけどあってほしくないものも無いことにするのが人間の心のはたらきです。地震や津波、竜巻、国の経済の破綻などがそれにあてはまるだろうと思います(かと言ってやたら心配して生きるのがよいとは言いませんが)。
 現在の科学で説明のつかないことはたくさんあるだろうと考えます。だからと言ってそれをオバケのせいにして恐れおののいたり、お札を貼って呪文をとなえるなんてことは、本来しないでよい心配をする愚かな行為です。一方で「科学で説明できないことは存在しない!」なんて言うのも「人間は神様が創造されたのだからお猿から人間が進化したなんてあり得ない!」って言っているのと似たものです。解剖学者の養老孟司さんはこのことを「バカの壁」とおっしゃいました。先日のSTAP細胞の発見も、研究者の小保方さんがまわり中からあり得ないと否定されたことを一心に継続して研究された成果です。本当に科学的なひとは物事にたいしてとても柔軟なひとだとおっしゃる学者さんもいます。仏法では、自分の心のはたらきをなるべく小さくして物事を見るように教えています。南無阿弥陀仏のお念仏もそのためにはたらきます。
 UFOとは、未確認飛行物体のことですから、空を飛ぶなんだかよくわからないものが存在するのは事実です。でも、そこに宇宙人が乗っているうんぬんは人間の心が勝手に考えたことです。空を飛ぶよくわからないものをキッカケに想像力をはたらかせて、他の事象とも関連づけて推理する、これはわからないことを知ろうとする人間の大事でステキな能力と思いますが、自分で考えたことに縛られて、恐れおののくようになる、他の説明(例えばUFOは未発見の鳥だとか)を受け入れられなくなると、それは愚かで嘆かわしいことになります。親鸞さんが正像末和讃で「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」(2013年8月27日のブログに書いています)と書かれたことは現代の私たちにもあてはまるのであります。