2019年4月18日木曜日

正信偈のなかみ二回目の板書

正信偈のなかみ二回目の板書に追記してアップします。
今晩もたくさんおいでいただきありがとうございました。おかげでやる気が発生します。聞いていただけると言うことが法話することのご褒美であります。
住職

2019年4月17日水曜日

正信偈講座二回目、予定どおりに行います。

4月18日木曜日の「正信偈のなかみ」は予定どおり夜7時から本念寺で行います。毎回確認していただいてすみません。

お経のなかみ

お経には、長生きするとか、病気を治すとか、成功するとか、偉い人間になるとか、そういうことは全く書いてありません。書いてあるのは苦労だらけ、思い通りにいかないことだらけの「この人生」をいかに生きたらよいかという心のありかたです。これを「度す」、「わたす」と言います。「どうしたらいいですか?」という問いに親鸞聖人のお師匠さま法然上人は「ただ念仏」とお答えになりました。「ただ念仏」って、「?」ではないですか。けれどもそこから仏法を求めるという生活が始まるわけです。
長生きしても、短命でも、人間社会で成功してもしなくても、健康でも不健康でも、そういう人間の価値を突き抜けて「他と取り替えできないこの私を生きる」ということに着地することが仏法のご利益だと考えます。これは決して妥協するというのではありません。仏教では「諦める」といいますが、これは通常わたしたちが使う悪い意味ではなく、明らかにみる、自分を本当に覚って惑わず迷わずに生きるということです。私たち人間は自分に夢をみています。夢をみて、おまけに人生に注文をつけて生活しています。そして、注文どおりでなかった人生を嘆き苦しみます。その夢から覚ましてくださるのが仏さまのはたらきです。仏法という法に出遭ってこれまでを越えた生活が始まるのです。だから、快不快、損得にこだわってどうにもこうにもならない、自分を失って生活している状態から脱出することがお経のなかみであるわけです。

明日の「正信偈のなかみ」第二回目は「帰命無量寿如来、南無不可思議光」をお話しします。