2021年2月19日金曜日

2月18日「正信偈のなかみ」の板書



 七高僧、曇鸞大師にはいりました。曇鸞大師は七高僧でただひとり迷信に迷ったかたです。これは、どんなひとでも縁があれば迷うということです。われわれは、普段の生活の中でオバケなんかいない、呪いもタタリも日も方角も関係ないなんて考えて生活していますが、なにかひとつひっかかると、説明のつかないようなことに遭うと、怖れ振り回されるようになります。そんな迷い深い人間が、その迷いの立場をひるがえして怖れを超えた生活を獲得してゆくということがあります。それで、曇鸞大師が迷われたという話が正信偈におさめられました。曇鸞大師が迷われた仙術とは長生きの方法、いまで言う医学でしょうか。迷いをひるがえして仙経を焼き捨てたというのですから、住職なんか「なんてもったいないことだ」と思ってしまいますが、長生きの方法もいいけれど、長生きは必ず命を終えるという我々の、究極的な解決にはならないということです。人間は人生で名声とか、財産とか、友達とか、健康とか、いろんな経験をするとか、楽しいことが多ければとか、いろいろ求めますが、どれひとつとして「やがて必ず死ぬ、そして、いつ死ぬかわからない」という生まれたものの根源的な問題解決にはなりません。最終的に解決しないものにとらわれることを「迷い」というのです。それから、曇鸞大師の大事なお仕事、龍樹菩薩と天親菩薩はおなじお念仏の流れにあるひとだったという発見をしたことです。「念仏でたすかる」なんて言われたって人間受け取れないのです。確かめないと不安で気が済まないのです。正信偈は百二十句の偈(うた)ですが、それは「南無阿弥陀仏」という一言のいわれを聞く偈です。「正信偈」百二十句のいわれを聞けば、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」、、、、「浄土論」「浄土論註」、、、、と限りなく広がってゆきます。そうやってお念仏の道を確かめて、我々に勧めてくださった高僧がたを七高僧というのです。般若の教学を極められた龍樹菩薩と唯識の教学の天親菩薩、このお二人がお念仏を勧めておられるということを発見して下さったのが曇鸞大師のお仕事。そして曇鸞大師のときに浄土真宗という生きる道が誕生したということです。ですから、曇鸞大師は菩薩であると、そう言いたくて「常向鸞処菩薩礼」と、梁という国天子、王さまが曇鸞大師のいらっしゃるほうに向いて礼していたというお話をもってきておられるのです。

次回は「報土因果顕誓願」の一句。かなり難しい一句です。こんなこと言ってますといえば「ああそうですか」ですむのですが、「そうか!」と受け取るのに住職は難儀しております。一句のために一時間つかうので、なんとか、「そうか!」と頷いてお帰りいただけるように準備します。

昨夜はありがとうございました。

2021年2月17日水曜日

明日2月18日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日、2月18日19時から本念寺大座敷にて、「正信偈のなかみ」行います。前回で七高僧の天親菩薩のところがおわりました。インド終了です。つぎは中国、曇鸞大師のところにはいります。

「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩禮
 三藏流支授淨敎 焚燒仙經歸樂邦
 天親菩薩論註解」のところです。

雪が降っておりますが、気をつけておいで下さい。