2021年12月16日木曜日

本日の板書


ほんじつは、天気の悪いなか、ご足労いただきました。大事なことはお話しできたと思うのですが、はじまると計画通りの順番にならず、内心冷や汗でした。板書であらためて整理いたしましたので、ご利用ください。


2021年12月15日水曜日

明日12月16日の「正信偈のなかみ」、やります。

 明日12月16日の「正信偈のなかみ」を予定どおり行います。

時間は19時から、本念寺大座敷にて行います。

2021年11月18日木曜日

本日の板書

 本日もご足労いただきました。七高僧も下四祖にはいって、ひとり二回、ということはひとり二時間でお話することになったのですが(そういう予定をたてました)、かなり忙しいです。と、いうわけで本日は善導大師の人となりにふれるのを全く忘れていました。次回もそこは時間をとれない予感がします。それほどたくさんお念仏の大事なところを開いてくださったのが善導大師です。と、いうところで本日の板書、プリントに用意しながらお話しできなかったところも書いてあります。




 

2021年11月17日水曜日

明日11月18日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日11月18日の「正信偈のなかみ」をいつもどおり19時から本念寺大座敷にて行います。新型コロナウィルス流行は下火ですが、マスクの着用をお願いいたします。

いよいよ善導大師にはいります。

2021年10月21日木曜日

本日の板書




 本日もご足労いただきました。勉強になりました。真宗の道は聞法ですが、「お坊さんは話すばかりでいつ聞法するの?」と考えておりました。坊さんは話して自分も聞法するのだそうです。だって、自分で話したからと言って自分のものとは限らない。そのとおりです。私も何回か前の「正信偈のなかみ」でお話ししたことを覚えていませんから。なるほどです。

2021年10月20日水曜日

明日10月21日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日10月21日の「正信偈のなかみ」あります。本念寺大座敷で19時から行います。冷えて来ました。暖かくしておいでください。マスク着用、アルコール消毒のご協力を引き続きお願いいたします。

2021年9月16日木曜日

本日の板書

 今回、次回と道綽禅師のところであります。今回内容にボリュームがあって、準備で難儀したのですが、本日のお話でもいっぱいいっぱいだった感があります。特に最後の善導大師の「法事讃」のところはあらかじめホワイトボードに書いてお話しした方がよかったと考えております。板書ではもういちど整理しなおして書いたので、見直していただけるとありがたいです。





 

2021年9月15日水曜日

明日9月16日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日9月16日「正信偈のなかみ」を19時より本念寺本堂で行います。マスク着用、手の消毒のご協力のうえご参加ください。距離をあけ、換気を心がけておこないます。

 七高僧の4人目、道綽禅師のところにはいります。

本念寺 住職

2021年8月19日木曜日

本日の板書



 本日で曇鸞大師のところがおわりました。足をはこばれたかた、ありがとうございました。新型コロナ流行の状況からみて、ちょっと難しかったと思います。現在、ニュースでは日に日にコロナが流行しているので、次回9月の「正信偈のなかみ」をよくよく注意して開催、または延期の判断をしたいと思います。

もうコロナで予定が半年分遅れている「正信偈のなかみ」ですが、「できるときにやる 」で行こうと思います。全部漏れなく聞かなくて大丈夫です、聞法とはそういうものです。次回は道綽禅師にはいります。聖道門(修行して、勉強して悟る仏教)ではもはや助からないと言うことを明らかにしてくださった高僧です。

2021年8月18日水曜日

明日8月19日の「正信偈のなかみ」行います。

 明日8月19日の「正信偈のなかみ」を19時から、本念寺本堂にて行います。
新型コロナの流行状況はまだまだ安心ではありませんが、ひろい本堂で換気をよくして行います。参加されるかたはマスクの着用、手のアルコール消毒にご協力ください。

2021年7月6日火曜日

7月15日の「正信偈のなかみ」はお休みします。

今月7月15日(木曜日)の「正信偈のなかみ」をお休みします。

8月19日(木曜日)の会から再開予定です。ワクチン接種がすすんで、心配を減らして再開できるよう願っております。ワクチンがあるとはいえ、まだ接種がさきになるひともいます。ですから、要マスク、手の消毒、換気は継続します。ご協力をお願いします。

本念寺 住職

2021年6月13日日曜日

6月17日の「正信偈のなかみ」も、休みます。

 コロナウィルスの身近なピークはすぎたように思いますが、念のため6月も「正信偈のなかみ」をお休みします。7月15日に再会できることを願っております。みなさまくれぐれもお大事に。

住職

2021年5月10日月曜日

5月20日の「正信偈のなかみ」休みます。

もうお休みすることはないって思ってたのですが、ここにきてコロナウィルスの流行が近隣で起こっています。5月は「正信偈のなかみ」をおやすみにします。みなさん、大事におすごしください。

 本念寺 住職

2021年4月15日木曜日

本日の板書




 本日もお集まりいただきありがとうございました。曇鸞大師の内容にはいり、往相廻向、還相廻向も出てきて、浄土真宗という教えの特徴が見えてきたのではないでしょうか。われわれはなにひとつ要求されていないのです。賢くなることも、修行をすることも、善い人間になることさえ求められていないのです。ただひとつだけ、仏になりたいという願いをもって念仏しなさい。繰り返し仏法にふれて穢土の生活を生きなさい。なにも要求しないけど、機が満ちたら、かならず仏となってゆく生活にはいる(往相廻向)。そしてそのことが、周りの人間にとってもこの上ない利益になる。だって、みんな我が思いを通そうとがんばって、ぶっかって、苦しんで、青い顔をして生活している中で、同じ苦労をして、明るく喜んで生活している人(還相廻向)を目にしたら、それは生きていこうという気力が生まれてくるんじゃないか。それが利他です。

 次回で曇鸞大師ともおわかれです。

2021年4月14日水曜日

明日4月15日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日4月15日、19時から本念寺大座敷で「正信偈のなかみ」をやります。
マスクを着用でご参加ください。

2021年3月24日水曜日

ロックと真宗

  お寺の法語を探すのに「ロック名言」をみていた。これは!と思った名言は以下のとおり。

「自分の人生を変えられる唯一の人間は自分だけなんだよ。」

                         ノエル・ギャラガー(OASIS)

「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい」

                         カート・コバーン

「その日をちゃんと生きること。人生にこの日は一度しか訪れない。」

                         エリック・クラプトン

「雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。」

                         ボブ・マーリー

「あなたはあなたが妥協したものになる」

                         ジャニス・ジョプリン

 家族にきいたら、「ロックって、けっこう自力な感じ」と感想。「そうなのか、、、住職が大好きなロックは、、自力なのか」と瞬間思ったが、いや違う。そのときは、「一生懸命やって自分を誇るのが自力、一生懸命やって自分がわかるのが他力なんだよ。だからお念仏の道も、龍樹菩薩が言ってるように一生懸命は一生懸命なんだよ。」と返事したけど、もうひとつ足りない気がする。
 あとで気がついた。ロックとお念仏、必ず共通するところは「ぜったいに偉くならない」ということ。ロックは優良なものじゃない、ロックミュージシャンはいつも不良から出発する。バンドをやって学校から褒められたり、大人たちに認められて音楽をはじめたりしない。それはどうしてかというと「いい子」だと格好がつかないから。国とか共同体とか世間から褒められてはじまったロックはない。ビートルズだって当時の大人が眉をひそめる不良だった。そのあとのハードロック、グラムロック、パンク、オルタナティブ、種類分けされてるけど、どれも極悪不良の姿で、世間の反感をかって登場している、これは明らか。

「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」
(賢く善く、努力家のすがたをするな。だって、心は嘘と我執でいっぱいなんだから)親鸞聖人は善導大師の「散善義」のことばをこう読みました。念仏者の生活は、聖人の生活ではないことを明かしてくださった。
蓮如聖人は、「たとい牛盗人といわるとも、後世者(極楽往生を願う人)ぶるな」「仏法者とみえざる人のすがたを生きよ」と御文に繰り返して説かれた。「人間世界でけっして立派なものになるな!」それは念仏者のポリシーであります。
自分は立派だ、自分は正しい、自分は聖だ、と思う心が人間心の一番深い闇であり、阿弥陀仏のお仕事をさまたげるのだということをおっしゃっている。
「信心」ということがあります。念仏は誰でもいただくことができる。けれども念仏をいただいてもぜんぜん助からないということがある。これを曇鸞大師が「信心」が欠ければ念仏をいただいても助からないと教えてくださった。それでは「信心」とはどんなこころか?。「信心」はそのまま、仏さまの救済力を信じるこころのことだけれども、実際信じることは自分ではできない。自分を捨てたところでないと「信じる」が成立しない。わたしたちは娑婆生活で「信じていたのに、、、」なんて愚痴を吐きますが、信じる代償を求めていたのなら、それは信じたのではなくて、取引をしていただけです。だから「信じた」と言ってみんな取引をしている。「私を裏切らないでね」がくっ付いてくるなら約束です。だから、みんな「信じた」とは言わず「約束した」と言うべきです。
自分を捨てたところでないと「信じる」ことは成り立たない。そして自分を捨て去ると、通常の社会生活はおくれなくなります(心配しなくとも自分は捨てられないのだけど)。そんな人間にとって有り得ない「信じる」を瞬間成り立たせるのが「聞く」ということだと教えられています。仏法を聞いて自分の心が否定される。自分が否定されたらそこに自分の心からの解放がある。真理に遭えば「間違っておった、勘違いしていた!」と心が開ける。自分の心を否定される瞬間は仏さまに遭っている。だから立派なひと、できるひとに落ち着くことを警戒するのは、ただのスタイルではなくて、人間心を深く射抜いたところの教えなのです。
極悪不良なスタイルが商売になる自由経済の時代でありますが、とって付けた極悪不良はなにか臭う。本気と金儲けの違いは滲み出る。ロックもなにかを得るため、これまでを超えるため、立派、優良ということを捨てたのでしょう。そこがお念仏とつうじる。

住職はお寺生まれだから住職になりましたが、徳のたかい坊さんにならなければいけない教えのお寺じゃなくてよかったと、ほんとうに思っています。

2021年3月18日木曜日

本日の板書




  本日は一句だけ「報土因果顕誓願」。「われわれをたすけるお浄土のはたらきは、仏さまが願うことでできました。そして、仏さまによってお浄土ははたらいております。」これだけでは、なにがすごいのかわかりません。けれど、お浄土は人間の仕事じゃないってことがポイントだったんです。仏さまの願いを「本願」といいます。「本願」とは「命あるすべてものに安心と満足をあたえたい」という願いのことです。これって、ほんらいならば人間が持たなければいけない願いではないでしょうか。わたしたち人間だって「良くしよう」と思って生活しているわけです。でも、人間は自分中心をやめられないので、上手いこといかない。上手いこといかないどころか、どうしたら本当に安心して満足できるのかということがわからない。資本主義、社会主義と言いますが、仮に主義が上手いこといっても得られる世界は「みんなお金持ちで健康で長生きな世界」くらいです。そんな世界で満足できますか?ってなると「うぅっ!」ってつまってしまいます。だって、お金持ちで健康で長生きでも歳はとるんだし、喧嘩もしそうだし、やっぱり死ぬし、いわば生老病死の苦しみは解決しないから、それで満足ですとはいえません。だからわれわれ人間の願いを実現するのではなく、われわれに代わって仏さまがたてられた願いに生きるわけです。浄土は清浄真実な世界、その浄土というものに触れることでわれわれが不実な世界を頼んでいたのだと目が覚める。この目覚めを生きているあいだ無限に繰り返してゆく。それをお念仏のはたらきといいます。

本日も一時間おつきあいいただきありがとうございました。

2021年3月17日水曜日

明日3月18日「正信偈のなかみ」あります。

 明日、3月18日木曜日の「正信偈のなかみ」を、晩7時より本念寺大座敷にて、予定どおりおこないます。

 住職

2021年2月19日金曜日

2月18日「正信偈のなかみ」の板書



 七高僧、曇鸞大師にはいりました。曇鸞大師は七高僧でただひとり迷信に迷ったかたです。これは、どんなひとでも縁があれば迷うということです。われわれは、普段の生活の中でオバケなんかいない、呪いもタタリも日も方角も関係ないなんて考えて生活していますが、なにかひとつひっかかると、説明のつかないようなことに遭うと、怖れ振り回されるようになります。そんな迷い深い人間が、その迷いの立場をひるがえして怖れを超えた生活を獲得してゆくということがあります。それで、曇鸞大師が迷われたという話が正信偈におさめられました。曇鸞大師が迷われた仙術とは長生きの方法、いまで言う医学でしょうか。迷いをひるがえして仙経を焼き捨てたというのですから、住職なんか「なんてもったいないことだ」と思ってしまいますが、長生きの方法もいいけれど、長生きは必ず命を終えるという我々の、究極的な解決にはならないということです。人間は人生で名声とか、財産とか、友達とか、健康とか、いろんな経験をするとか、楽しいことが多ければとか、いろいろ求めますが、どれひとつとして「やがて必ず死ぬ、そして、いつ死ぬかわからない」という生まれたものの根源的な問題解決にはなりません。最終的に解決しないものにとらわれることを「迷い」というのです。それから、曇鸞大師の大事なお仕事、龍樹菩薩と天親菩薩はおなじお念仏の流れにあるひとだったという発見をしたことです。「念仏でたすかる」なんて言われたって人間受け取れないのです。確かめないと不安で気が済まないのです。正信偈は百二十句の偈(うた)ですが、それは「南無阿弥陀仏」という一言のいわれを聞く偈です。「正信偈」百二十句のいわれを聞けば、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」、、、、「浄土論」「浄土論註」、、、、と限りなく広がってゆきます。そうやってお念仏の道を確かめて、我々に勧めてくださった高僧がたを七高僧というのです。般若の教学を極められた龍樹菩薩と唯識の教学の天親菩薩、このお二人がお念仏を勧めておられるということを発見して下さったのが曇鸞大師のお仕事。そして曇鸞大師のときに浄土真宗という生きる道が誕生したということです。ですから、曇鸞大師は菩薩であると、そう言いたくて「常向鸞処菩薩礼」と、梁という国天子、王さまが曇鸞大師のいらっしゃるほうに向いて礼していたというお話をもってきておられるのです。

次回は「報土因果顕誓願」の一句。かなり難しい一句です。こんなこと言ってますといえば「ああそうですか」ですむのですが、「そうか!」と受け取るのに住職は難儀しております。一句のために一時間つかうので、なんとか、「そうか!」と頷いてお帰りいただけるように準備します。

昨夜はありがとうございました。

2021年2月17日水曜日

明日2月18日の「正信偈のなかみ」あります。

 明日、2月18日19時から本念寺大座敷にて、「正信偈のなかみ」行います。前回で七高僧の天親菩薩のところがおわりました。インド終了です。つぎは中国、曇鸞大師のところにはいります。

「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩禮
 三藏流支授淨敎 焚燒仙經歸樂邦
 天親菩薩論註解」のところです。

雪が降っておりますが、気をつけておいで下さい。

2021年1月23日土曜日

1月21日「正信偈のなかみ」の板書



 木曜晩は寒いなかお集まりいただきありがとうございました。七高僧の二人め天親菩薩まで終えました!会を重ねるたびにすすんでゆきます。あたりまえですが、正信偈のなかみぜんぶに触れるということが見えてきました。次回は2月18日に予定しています。中国の曇鸞大師です。浄土真宗、お念仏の教えの要のひとです!

2021年1月20日水曜日

明日1月21日、「正信偈のなかみ」あります。

 明日1月21日の「正信偈のなかみ」は、19時から本念寺大座敷にてあります。
雪のため境内の駐車スペースが狭くなっています。本念寺裏門の向かって右手、マーケット横の駐車場をご利用ください。

住職