2022年8月18日木曜日

本日の板書

 本日の板書も配布のプリントと同様です。

 プリントにない本日のお話として、難行というのは人間を立場として仏に向かって出発します。こうしたら仏になるだろうと人間が考えて行をするのです。何をしたら仏になると思いますか、悪いことをせず、善いことをして、食べるものも菜食なんかにして、というイメージではないでしょうか。自分が思った悪いことをしないというのはいいと思うのですが、善いことをするのって、余計なお節介ということもあります。菜食は正しいことではなくて、植物だって生きているんだから、なんであなたが食べていい命と食べていけない命を決めるの!ってことになります。好き嫌いで菜食は大好きですけど、そこに「正しい」を自分で決めているということが暗いです、人智の暗さです。 難行では人間の思った世界を越えることがないのです。だから仏が易行を用意したのです。易行は仏が選んだ道です、だから明るく確実に仏に向かうことができる。だけど、お念仏だけで本当に仏になれるの?ということがあります。だから確かめずにはいられないのです。確かめてきたという歴史が七高僧です。七高僧からわたしたちは時を隔てていますが、親鸞聖人以降蓮如上人、清沢満之、曽我量深、安田理深と確かめてきた歴史が真宗にはあります。わたしたちも「念仏なんかでほんとうにたすかるの?」という問いを胸に先人の道を聞いてゆくのがお念仏の道だと思います。