2019年9月6日金曜日

手短に仏教

ご法事で「手短に」と言われることがあるので。

 人間は自分でつくった世界を本当だと思いこんで疑わず(妄想)。自分の思いに捉われ、自分で自分を縛り、悪いのはあいつだ、自分が不幸なのはこいつのせいだと他人を責め、願望通りにならない自分自身を自分で裁いて、自分の存在を傷つける。自由と言うが、人間の思う自由は、貪瞋痴の煩悩にうごかされるままのことで、もとが煩悩であるから求めても決して満足することがない。その姿は立場に縛られ、欲望に引きずられて不自由なことこの上ないけれども、人間にはその自分の姿がわからない。それでいつまでも不満を口にする。愚痴を言う。そのうち寿命が尽きて娑婆を去ってゆく。一生のあいだに、一度も自分をそのままで満足することもなく一生を終える。
そもそも自分がどうなるかこうなるかには良いも悪いもない。すべては業による。業こそが自分の存在である。それを嫌うのが妄想だ。人間は妄想して迷い苦しんでいる。業を受けとめられるものになることは仏のはたらきである。妄想を破って真実に出遭えばそのままに自分の業を引きうけるということが出てくる。そこに「何一つ変更することなしに」ということがある。業を受けとめられたということは明るいということだ、なにがあっても明るいということは人間にとって大事なことである。それが仏の御恩である。はじめに御恩があるのではない。自分がたすかってみせて初めて御恩ということが明らかになる。