2020年1月16日木曜日

「正信偈のなかみ」本日の板書


本日も「正信偈のなかみ」へご参加ありがとうございます。おかげで、住職は無人の場で講座を持つという寂しいことにならんでおります。いろいろドギツイ言葉表現もしてるなぁと思いますが、聞いてくださる方々の反応が明るくて助けられます。
 今日のはなしでもしたのですが、ごくたまに「住職、ありがたいはなしを頼む」というのがあります。あいがたい話は気持ちいいかもしれませんが、人をたすけません。人をたすけない話ならばそれは仏法ではなく外道です。なぜなら、道元禅師もおっしゃっているように仏法とは「自分を習う」ことだからです。人間はほんとうにいろんなことを知っています。役に立つのか金になるのかわかりませんが、遠い宇宙の果てのことだって知っている。自分の体の構造も知っている。けれども自分の心のことは知らない。なんで腹がたつのか、なんで悔しいのか、なんで生きてゆけないと思ってしまうのか、それを知ろうとは思わないようです。腹がたつのをあたりまえと思っている。悔しいのも、生きてゆけない思いもあたりまえと思って疑わない。 そして社会を壊す、環境を壊す。自然を壊す。環境破壊と言われるようになりましたが、それは人間が満足を外に求めた結果ではないでしょうか。だから、私自身耳の痛いことばかりですが、私をならうことが道を開くのだと思います。

次回は依経分の最後です。お念仏の教えについての段が一区切りつきます。十二回目ですね。