2020年5月28日木曜日

南無阿弥陀仏、すわりがわるい。

 住職は南無阿弥陀仏の字面に意味を求めてしまいます。だから白けます。何で南無阿弥陀仏なのか、南無阿弥陀仏でなくてもよいのではないか。南無阿弥陀仏は受け取るものです。
南無阿弥陀仏の字面にこだわるということは、南無阿弥陀仏を呪文だと思っている。南無阿弥陀仏は「まかせよ」と如来から受け取るものです。だから南無阿弥陀仏の字面でなくとも良いかもしれない。けれども南無阿弥陀仏を取り替えたところで、字面にこだわっている限りは一緒です。落ち着くことができない。そもそもお念仏は受け取るものですが、人間は言葉がなかったら受け取れないのです。だから如来(真実が人間の思いを破るはたらき)が言葉になった。人間は言葉で迷い言葉で苦しむから仏さま(わたしをたすけるはたらき)が南無阿弥陀仏という言葉になったのです。だから南無阿弥陀仏でいいと思いたったのでした。