2013年8月13日火曜日

仏法を聴いてよいことはあるの?

 人間はいろいろ望みながら、不平を重ねて、苦しいなぁと思ったり、たまに楽しいと感じることもありますが、ストレスを感じたり人生に畏れを抱いたりして生きております。望んだようになりたいと願うから 会社で出世するための本が売れ、人間関係を上手にする講演会にひとが集まり、病気が苦しいから健康についてのテレビ番組に人気が集中します。みんな熱心に健康について、蓄財について、美容について情報収集されておりますが、はて、お釈迦様の教え、親鸞さんの教え、仏法についてはどうなのでしょうか?
 どうも仏法には会社で昇進する方法は書いていないようです、健康についても医学のほうが具体的で明快です。仏法では投資のコツについてなんて教えていないですよね。それじゃあ、仏法を聴いても仕方が無い、そう思うのではないでしょうか。なるほどです。いや、広い意味ではお釈迦様の智慧は投資にも健康にも役立つだろうと、私は思いますがそこのところは話がとりとめなくなるのでやめておきます。
 それでは、仏法など聴かなくても人生大丈夫で生きてゆけるのでしょうか?いや、なんか忘れているような気がしますね。それは、いくら健康にきをつけていても病気にならないことなんてできるのでしょうか、アンチエイジングに多大な努力を重ねても老いの時計を止めることはできません、そして関わりたくないと考えていてもやがてやってくるのは死ぬことなのです。
 王子様として生まれ、不自由なく暮らし、勉強もスポーツもできてイケメンだったお釈迦様が遭遇したのも この生きていれば、時には病んで苦しみ、必ず老いて死に至るという人間の現実でありました。たいていはそのような必ずある苦しいことから眼をそらして、美味しいものを食べたり、楽しいことをしたり、きれいなものを眺めたりして心を紛らわしながら生きてゆくのですが、お釈迦様は逃れることのできない苦しみに正面から向き合って生きられたのです。お釈迦様は病気にならない身体をつくるのではなく、不老長寿の方法を実現するのでもなく、不死の存在になろうとしたわけでもありません。病気になること、老いること、死ぬこと、その他自分の思うようにならないことで起きてくる苦しい心が どうしてあらわれてくるのかと探求なされたのです。ですから、仏法が実現するのは病気になっても大丈夫、老いてへっちゃら、死ぬことも受け入れることのできる心です。だって、人間の心は厄介なものですから、健康かつ不老不死の身体を手に入れたからといって苦しまないとはかぎらないのです。ひょっとすると、永遠に生きなければならないということは、超がつくほど苦しいことかもしれないのです。そういった視点で、苦しみを起こす自らの心を深く観察してお釈迦様は悟りをひらかれました。
 そんな、人間であれば誰でも抱えることになる共通の苦しみについて、お釈迦様が説かれた教えですから、仏法を聴くということは何にも増してよいことだと申したいです。